たまたまBSテレビを見たら、グレートトラバースという番組が流れていた。日本の百の山々を南の屋久島から北の利尻島へまで、7ヶ月かけて一筆書きで自分の足だけで踏破して行くと言うすごいハードな旅の番組だ。今回は「利尻水道」だった。ゴールの利尻岳は寸前だね。
や、や、や、すごいよ!カヤックで漕いで稚内側から利尻島へ渡るんだ。
水道と言う割には25キロもある。しかも、波の高さ3メートル、風速は10メートル。予定6時間で漕ぎ渡るらしい。
放送時間15分のうち、12分は、ただただ大荒れの利尻水道を漕いで、風速20メートルで転覆したりして、ほとんど遭難状態となり、もうとにかくドキドキ。
それでも、予定より10キロ北に流されたとは言え、もうすっかり夜の帳が下りる利尻島雄忠志内漁港に9時間かけてたどり着いてくれて、本当によかった!! 挑戦者田中が泣き出したけど、自分もうるうる。
やれやれと驚いていたら、このトラベラーは、津軽海峡を、三厩から北海道側へは3時間半で漕ぎ渡ったと知って衝撃を受けました。
世の中には、ガッツあふれる人がいるものだ。
さて実は、利尻島と礼文島には休暇で、一度だけ訪れたことがある。さすがにボートではなくて、札幌丘珠空港から、利尻島へ。利尻島からは、フェリーで礼文島へ。
最果ての旅でロマンチックだが、国の重要文化財に指定された礼文島の船泊縄文遺跡他の出土品等等を見に行ったのだから、超ロマンチックな、旅ではありました。
ちなみに、実際はその日に初めて知ったのだけれども(スイマセン)、この礼文島は縄文時代のみならず、我々青森の、特に津軽地域とは深い関係がある。
そもそも、ここの漁場を最初に開拓したのは三厩の方々、青森市油川の方々である。
礼文島には、モロな名前の「津軽町」が現存するどころか、お願いしたタクシードライバーさんは、お父さんの代に、これも津軽出身の親戚を頼って移住した藤崎町の方だった。かなり沢山の津軽の出身者が、おられるそうだ。
縄文の出土品を見に行った礼文島郷土資料館で、こう言った縄文時代のみならず近世でも、我々青森とのつながりの濃さ深さを知ることが出来たのだが、感慨一入だったのは、ヒスイ、アスファルト、イモガイ、タカラガイといった北海道内では取れない、明らかに海から海を渡って来た出土品の数々であった。
津軽海峡や利尻礼文の疾風吹き荒れる怒涛の海を、木の舟で漕ぎわたって交易した縄文のグレートトラバースにも、ひたすらなる賛辞を捧げたい。
さあ、北海道北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録も本当に後一歩にたどり着いた。
ガンバロー!
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