我々はドキドキしながら、いよいよ最終ルームEへ向かう廊下に辿り着いた。
ここには、寺山を慕うアーティストの作品が並ぶ。
横尾忠則 荒木経惟 宇野亜喜良 山下清澄 林静一 合田佐和子 建石修志 竹宮恵子
日本の60年代、70年代を代表するアングラ美術家の原画が勢揃いしている。
アートの競演だ。
ルームE
今では珍しいタイプの、昔床屋にあったぐるぐる回る「あめんぼう」が、私たちを室内へと誘う。
ここは寺山没後イベントを集めた部屋。
今なお、この国の芸術家や若い人たちに影響を与え続けている寺山を知ることができる。
カルメン・マキや山口昌男、中沢新一、山崎ハコ、山田太一、谷川俊太郎・・・、いろんなカルチャーの第一人者のインタビュー映像もある。それぞれの寺山への思いや思い出が語られる。
ここで、オジさん改め館長からも真面目に挨拶申し上げる。
本日は「寺山修司 劇場美術館:1935〜2008」においでいただき、ありがとうございます。
青森県立美術館は、平成18年7月に開館して以来、シャガール展をはじめ、6本の企画展を開催してきました。
7回目の今回は、本県出身のマルチアーティスト、寺山修司を取り上げます。
寺山は、県立青森高等学校時代に俳句で表現活動を始め、早稲田大学進学後は短歌の世界に入り、その後、ラジオ、テレビ、映画、そして競馬やスポーツ評論を手がけ、時代を凄まじいスピードで駆け抜けた芸術家です。本展覧会は、これらの多岐にわたる活動について、美術館の広い企画展示室を5つの小宇宙に模して展示する、寺山修司展としては過去最大級のものです。
多くの県民の方々が寺山修司とは何であったのかを知ることができる実に良い機会です。特に、寺山修司を「千の美意識を持つ男」として讃え、テラヤマ美学の最大の理解者である美輪明宏さんによる「毛皮のマリー」の部屋は必見です。
また、「書を捨てよ、町へ出よう」と寺山は言いました。寺山が現代に生きていたならば、どのような表現を世に問うていたでしょうか。その1つの例を当美術館の舞台芸術監督、長谷川孝治がリアカーシアターで演出します。演じるのは、青森の高校生たちです。
また、展覧会の開催に先がけて、多くの県民の方々と寺山修司増殖計画を展開し、青森市新町商店街を中心に、寺山のイメージを県内各方面に強力に発信しました。これからも当美術館は、大いに町へ出て、県民と共に歩む美術館を目指します。
企画展の開催に御協力くださった三沢市及び三沢市寺山修司記念館、テラヤマ・ワールド、スパンアートギャラリーの皆様、また、協賛や後援を賜りました関係者の皆様に心からお礼申し上げ、ご挨拶といたします。
ありがとうございました。
青森県立美術館館長
青森県知事 三村申吾
寺山修司という希有の才能が、私たちの青森で生まれ育ち、日本のみならず世界へと芸術というエネルギーを発信していった事を、私は誇りに思いたい。
だからこそ、多くの県民の皆様が、いや、国内外の皆様が、私たちの県立美術館においでくださり、寺山修司の感性に、驚き、感動して下さる事を心から願いたい。
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