かつての名騎手吉永正人さんが亡くなった。吉永さんは本当にジンと来る、深みのあるレースをするジョッキーだった。人間味あふれるその人となりについては、吉永みち子さんの『気がつけば騎手の女房』を是非一読願いたい。
自分は新聞の訃報に接し、心からご冥福を祈ると共にひとつの時代の終焉を思った。
寺山修司が、阿佐ヶ谷の河北病院に最後の入院をしたのは、当時ジョッキーであった吉永とミスターシービーが第一冠のさつき賞を制した、すぐあとであった。
フジTVのさつき賞競馬中継にゲストとして出演して「こんなドロドロの馬場で追い込んだ。すごい馬だ。すごいレースをする馬だ。吉永君にぴったりの馬だ。ダービーが楽しみだし、三冠馬が見られるかも知れない」とこんな趣旨の話をしたのを、覚えている。
吉永正人とミスターシービーは、その予言どおりに三冠馬となったけれど、寺山修司は、入院間もなく、日本ダービーを見ることなく逝った。
そのダービーは、吉永とシービーにとって大変に厳しいレースだった。4コーナーで郷原騎手の馬と接触し、郷原はあわや落馬かという激闘で、長い長い審議の果ての勝利だったと記憶する。
寺山修司がその最後まで、心から愛したジョッキー吉永正人が逝き、寺山の好著である『馬敗れて草原あり』時代の名残り、あるいは残光が静かに消えていった。
いつも最後方をポツンと追走し、直線一気の追い込みに賭ける吉永とミスターシービーは、見る者(いや賭けた者)をいつもハラハラドキドキさせた上に、勝つも敗れるも、その一途なレースぶりが切なかった。
三冠目の淀の菊花賞も府中秋の2000mの天皇賞も、そのレースたるや、大胆不敵にして「美しいドラマ」の一言。まさに天馬空を行くが如き、思いっ切りの良さがズバリ嵌った、胸のすくものだった。
今回の吉永正人さんの訃報に、そんな20年は昔の日々をふと思い、急にノスタルジィにとらわれている。
しかしながら時代は今や、ディープインパクトであり武豊である。馬も人も屈託なく、しかも明るい。また本当に強くて速くて華麗である。
スポーツ紙をみると、現在の競馬サークルは、10月1日のフランス凱旋門賞のディープインパクトと武豊に、全ての注目と期待とが集まっているようだ。
凱旋門賞で“勝てる”国産馬の登場など、寺山修司の時代には夢想だにしなかったことだ。日本のサラブレッド生産も、ついにここまで来たかという強い感慨がある。
ところで、全然話は別だが、我が県立美術館では『戯曲寺山修司論』が上演される。「寺山だから当然、馬が走る」と長谷川孝治監督が、脚本の秘密を打ち明けてくれた。ん〜、どの場面で、どう走るのだろうか!?
どうぞ皆様、こちらも乞ご期待。ぜひ美術館へおいで下さい。
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